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#2 ていねと鉄道 【連載】ていねっていいね ~あなたの知らないていねの話~ 

山小屋風の木造駅舎だった手稲駅

「ていねっていいね」なのかを考察するにあたって、その歴史にも触れなければならないだろう。

実は私、1981年の小学5年時にていねの富丘に越してきた。

テツを自称する私は引っ越し早々、最寄の駅をチェックするのだ。

すると衝撃の光景が!

当時の手稲駅(第2代:昭和9年(1934)から48年間)は何と木造駅舎!

皮がついたままの丸太でできており、一見山小屋にしか見えなかったが、今思えばとてもていねにマッチしたデザインだ。

この山小屋風駅舎は市街地にある駅舎としてはとても珍しく、全国的にも結構有名だったのだ。

手稲山にあったパラダイスヒュッテを模して作られたという。

待合室には巨大な石油ストーブ(煙突付き!)も。

歴史あるスキー場を抱える手稲山の最寄駅としては雰囲気満点の駅だった。

ちなみに当時は稲積公園、発寒、発寒中央、稲穂、星置、ほしみの各駅は存在してないので、手稲住民の最寄り駅と言えば間違いなく確定的に「手稲駅(当時は軽川駅)」しか無い。

駅はその後2回改築し現在(第4代)に至る。

当時は今と駅舎の構造が大きく異なっていた。

山小屋駅舎は現在と違い地上駅で、ホームは2面3線。

1番線は南口と一体で、地上にある駅舎の改札を通るとすぐ目の前がホームだった。

1番線はホームがとても長く、現在の「つぼ八」の裏あたりから人道橋あたりまで続いていたと記憶している。

実は手稲駅の歴史は古く、手稲駅(軽川駅)の開業は1880年(明治13年)

函館本線(当時は幌内鉄道)の小樽(当時は手宮駅)~札幌間は、日本最古の鉄道路線である新橋~横浜間、その次にできた大阪~神戸間に続き、実は日本で3番目にできた(旅客)鉄道路線なのだ!!

今年は記念すべき140周年なのだが、新型コロナの影響で大々的な記念イベントもほとんど無く、テツとしては非常に寂しい。

北口方面にはメルシャンの工場が

私がていねに越してきた当時は、手稲駅に北口は存在せず、ホームからは側線越しに駅北側に広がる三楽オーシャン(現メルシャン)の工場構内が見えた。

工場跡地に建てられたのが現在の西友手稲店。元々あった前田の店舗(現キャッツアイ)から移転してきた。

一帯は西友を中核としたショッピングモールの扱いで、その由来から「メルシャン・プラ―ス」と呼ばれているのはあまり知られていない。

また、手稲渓仁会病院の場所には北海道最大の「日本石油北海道製油所」があったり、金の産出量が全国2位だったこともある「手稲鉱山」があったりと、明治時代の殖産興業における重要地区だった北海道の中で、札樽間の中心に位置するていねは産業史跡が豊富なのだ(このネタは改めてフカボリしたい)。

次回へ続く…

清田 純一郎 (せいだ じゅんいちろう)

株式会社清純堂(ちょい寝ホテル札幌手稲)代表取締役
1970年小樽市生まれ。50歳。父親の転勤に伴い旭川、岩見沢、横浜(6年半)に転居の後小学5年から札幌在住。
市立富丘小、同手稲中、道立札幌稲雲高校を経て札幌大卒。
95年北海道新聞社入社。主に新聞広告の営業および企画を担当。
本社→旭川→東京→本社→帯広→本社と異動し、経営企画局スポーツ戦略室部次長として東京2020スポンサード、パラスポーツ推進担当を最後に2018年退職。

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